高貴徳王菩薩品第二十二に聴法の因縁によって、「大般涅槃の真意を解し涅槃の歓喜が得られる」と教えられています。
最初の一段階は「聴法、芽生えの因縁」です。やさしい言葉で教法を説かれ有難く聴いていく道程です。
第二段階は「聴法、育ての因縁」です。一段階で信心が向上してくると、自ら進んで菩提の向上へと精進していきます。
第三段階は「歓喜の因縁」です。これは聴法因縁の関門ともいうべき難所です。
「鯉の竜門に登るの象」という卦意がありますが、鯉が天界の竜宮に登るにはどうしても滝の難所を登らなければならないように、聴法の因縁にも同じ関門があります。くけんかしゃく(駆遣呵責)の関所です。これを尊くいただけるようになったら大歓喜が開かれます。喜びの境涯です。
褒められたから嬉しい、親切にされたから教えが有難いというのは、「芽生えの因縁」で「浅略分」で、本当の信仰に触れたとは言われません。都合の良いところだけ聞けて、都合の悪いところは耳を塞いでしまう傾向があります。
これではいけないと気付いて一歩前進したら、二段階の「育ての因縁」となりますが、少しでも痛いことを言われるとつむじをまげて一段階に戻ってしまいます。
三段階は、父の大声叱咤して成長させてくれる極大慈悲の中に開く信心です。
三段階を乗り越えると、霊能開発へ進むのですが、霊能を100点としたら、第一段階が30点、第二段階が30点、合わせて60点。この60点を超えたところが大歓喜で、61点でも開けますが、心境が高められて80.90点で開く人もあります。その差が霊能発動修行に現れます。
修行は厳然としていて、その人の心境が本当に喜びになったときには信仰年限に関わりなく霊能が開けます。
こればかりは、誰も手伝うことが出来ません。各人の覚悟によって開かれるものです。自らを正しく見所作して自らの点数がどの位置にあるかよく見つめて精進してください。
一如の道より
本当に人に嫌なことを言われると、つむじを曲げてしまう自分が居ますね。もっと大きな器になっていろんな話を受け入れて行かないといけませんね。
コメント