苦の源はどこから発しているのでしょうか。十二因縁説では、無明に始まると説かれておりますが、苦の因は「迷い」から発すると思います。
一つには、「無明の迷い」
無明(むみょう)とは物の道理に暗いこと。自分の意見はどこまでも通していく方、道理のわからない方など平気で「我」を通し無明を強調している。
二つには、「見惑、思惑の迷い」
見惑(けんわく)は、見て迷うことですが、理論上の迷いですから違っていることが分かればすぐ解決します。
思惑(しわく)は、人間感情の想い、すなわち情の迷いなので、なかなか解決がつかないのです。
思惑ようやくに断ずること蓮糸のごとし
三つには、「塵沙(じんしゃ)」
入れた覚えはなくてもポケットにいつの間にかゴミが溜まっています。
意識して悪いことをはしないと思うのですが、日々生活している中で、いろんなことにぶつかり、目に見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、この体で欲望を起こしたり、執着の心を生じたりして、その念いが迷いとなり業となって蓄積され、苦しみの因となってしまうのです。
身口意(しんくい)、三業の浄化が大切です。次回に。
一如の道より抜粋
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