長生きとはいくつくらいのことを言うのだろう?
人によって違うと思うが、若いときに発病した人は、40歳まで生きられてよかったと思うかもしれないし、100歳で長寿を迎えられたと喜んで、まだまだ元気だと思うかもしれない。
老いは長年の積み重ねが現れる円熟のとき?だそうです。どんな老人に見えているのかで、今までの暮らし方がわかるということなんでしょうか。
老いが苦しいと感じられるのは、いつまでも若い時のままでいられると思っているからで、老いれば体が弱り、できないことが増え、見た目も衰えるのが普通です。初めからそう言うものだと思っておけば、いたずらに苦しむことはありません。(身体的な苦痛もある程度は仕方ありません)
杖やおしめが恥ずかしいと思う人もいますが、老いれば赤ん坊に戻るのと同じです。それより、ごみのポイ捨てとか歩きスマホとか、嘘をつくとか、陰口をたたく、自分の失敗を人のせいにするとかのほうがよほど恥ずかしいことでしょう。
長生きを求める人はただ単に死にたくないという気持ちだけで思考が止まっていて、実際に長生きしたらどうなるかをリアルに考えていないように思います。例えば、
自宅で寝たきりで身動きできず、胃ろうから流動食を注入されてただ死ぬ日を待つだけの人や、施設に入れられ、車いすにのせられて無言移動のままかけっぱなしのビデオの前に放置される人、大便を失禁してその便で足を滑らし、歩き回って畳を便だらけにした人、仙骨部にできた巨大な褥瘡が悪化して悪臭を放ち、肉が崩れて骨が露出した人、肺気腫で呼吸困難になりトイレへ行くのも息絶え絶えになる人、パーキンソンなどで手が動かず食事を口に運ぶだけでも大変な苦労の人・・・・・・・・・
(途中略)実際に死が目の前に迫ったら、自分でも思いがけない気持ちに駆られることもあります。
久坂部羊著「寿命が尽きる2年前」より抜粋
ある高齢者が大腿骨骨折をした、手術はもう要らないかと家族は思うけど、「痛みをとるのが第一目的、でないとベッドにずっと寝たままになりますよ」と医者に言われると、手術もやむなしかと思う。
手術後、血圧が下がったり(輸血する)、点滴するも、腸から出血があり絶食とか、、、リハビリどころじゃない。人の死への尊厳はどこで保たれるのだろうか?
敗れた革袋にはぶどう酒は入れられない、だったっけ?聖書の中にあったような気がする。その時は意味が分からなかったけど、こういう意味でもあったのかもしれないと勝手に思っている。
ある医者は、死のスイッチが入るともう戻れないようなことでした。
アンチエイジングなどは、できるだけ若々しくあろうとする努力ですが、身をきれいにさっぱりとすることは大切ですが、過度の努力は無意味かもしれませんね。
皴もない人がアンチエイジングなどとコマーシャルやっているのってどう?
膝、腰、肩・・・これを飲んだら治るっていうコマーシャルどう?
闇バイトの若者を笑う前に、自分も点検する必要がありますね。
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