「人はどう死ぬか」という本を読んだ。久坂部羊(くさかべよう)著の現代新書。なかなかすぐには読み始めなかったが、読んだら結構簡単に読めたが考えさせられる。
今は「人生100年時代」と言われて久しいけれど、病院に入ってしまえば「100歳まで死ねない」のが当たり前らしい。
先日知り合いの叔母が亡くなった。100歳だったそうだ。口を開けてがりがりにやせていたそうだ。一度病院に入れたら、あちこち悪いに決まっているが、医者からしてみれば、自分の担当で死なせたくないのだろうから、いろいろ処置を試みる。
本人の希望はどうなんだろう?親族の希望はどうなんだろう? みんな自分が責任を取りたくないので、医者に任せることになる。
死ぬのは一発勝負なんだから、練習もできないし、どのような最期を迎えるかは元気なうちに決めておかないといけない。
心の準備をしていても予想外のことがあったら、例えば、骨折とか、吐血とか、急に倒れるなどになると救急車を呼んでしまう。そうすると病院に運ばれてしまうと、するとやすやすと死ぬことができない。
105歳で亡くなった人は、いつも「なんでこんなことになるんやろ」と言ってました。内臓的な病気はないのに、生きることがつらかったんでしょうね。自分で動けない長生きはするものではないのでしょう。
ぜひこの本を読んでいただきたい。日本の医療の問題点が見えてきて考えさせられます。
身近に問題が迫っているので、他人ごとではないのです。
いつか死ぬけど、今じゃないと思っているうちに、問題が発生してくるんでしょうね。時は今!
死ぬことが怖いことと思うか、死んで新しい場所に行けると思うことができるかによって、「死」に対する気持ちは全然違うでしょうね。
イスラム教は、死んだらその日すぐに土葬にします。キリスト教も土葬します(偉い人は教会の地下)。日本は火葬ですね。イスラムの人に火葬すると言ったら大変驚いていました。
こちらこそ、土葬にするなんてと思うけれど、習慣によって考え方は違いますね。宗教的な考え方は大切ですね。
イスラムはアラーの神が決められたこと、キリスト教は最後の審判の日まで待つ。
日本では、阿弥陀さんのそばに行けると思う人は気が楽と思います。他の宗教でも教主様のところへ行くと思える人は多分安心でしょうね。ご先祖が迎えに来てくれると思うのもいいですね。
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