マールンクヤという弟子が、いつも釈迦に、「死後の世界はあるが、ないか?」「この世界は有限か、無限か?」と、哲学的な質問ばかりをする。釈迦は返答を拒む。
あるときマールンクヤは、「今日こそ、質問に答えてください。そうでないと、わたしは還俗(僧が僧籍を離れて、俗人にかえること)します」と、釈迦に返答を迫った。すると、釈迦はこのように言われた。
「ここに人があって、毒矢に射られたとする。友人たちは医者を呼んで、その男の治療をしようとした。だが、彼は、
『わたしを射た者は男か、女か? 背が高いか、低いか? それらのことが明らかにされないならば、この毒矢を抜いてはならぬ。』と言う。
そんなことをすれば、彼は死んでしまうだろう。
だから、マールンクヤよ、世界は有限が、無限か? 死後の世界はあるか、ないか? そのような問題に答えたとて、われらの苦なる人生の解決にはならないのだ。われらにとって大事なことは、この苦なる人生の克服なのだ」
『中部経典63』より 釈迦一日一言ひろさちや編
先日から、深淵の探究者というYouTubeに出会って、いくつか見た。マールンクヤのように、「世界は有限か、無限か?」が気になるようになってきていた。そこにこの言葉!
今にも毒矢が当たらんとしている自分が、そんなこととはつゆ知らず、のんびりと世界の果てはどこだろう、宇宙の果ては?なんて、小さい器で考えている。答えがあったとしても、理解はできないのだろう。
お釈迦さまは、宇宙の真理を体得されたということなので、人間には理解は無理なので、身近な例を一人一人に合った話(対機説法)をされたのでしょう。
お釈迦さまは、宇宙人かとか思ってしまう私があるのは困ったものだ。
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